動く電車の博物館として名高い広島電鉄。
原爆の被害からわずか3日で運行を再開した広島電鉄。
それぞれの鉄道事業者がおそらくその土地それぞれの物語をもっているだろうが、
こと、広島市民にとっては、広島電鉄というのは、一つの私企業という存在を超えていることは確かであろう。
広島で核爆弾の攻撃を受けた電車が広島で今なお日常的に走り続けている。
いや、走らせ続けられている といった方が適切か。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Hiroden-654-7.jpg
広島電鉄在来車 650形。
653号・654号は正式に引退と相成り、654号は現在も広島交通科学館にて静態保存されているが
http://www.hirolrt.com/tokusyu/654hiro/654hiro.html
それでも つい2年ほど前までは 現役ばりばりで走り続けていた。
古い車両を走らせ続けることは鉄道会社にとってはコストの問題故、本当はあまりやりたくない、ということを聞いたことがある。現に広電電車の古い形式の車両は少ないところからどんどん形式消滅が進んでおり、5000形・5100形の大量投入など、大型化・高性能化が著しい。
そういうなか、今なお定期運行を続けている、650形651号・652号の存在は、広島市民・広電にとってシンボリックなものであるとの想像は難くない。
市内では、8月6日8時15分、軌道上を走っている電車は必ず近くの駅に臨時停車し、1分間の黙祷が行われるという。黙祷を捧げるだけで何ができる、という人もいるかもしれないが、その黙祷の意味を知っている限り、そこからの想像できることというのは少なくないはずである。
650形は、先ほども述べたように、「定期運行」している。そして、今日も予定通り、市内のどこかで走っているはずだった。
http://s02.megalodon.jp/2008-0806-2223-05/www.asahi.com/national/update/0806/OSK200808060110.html (魚拓)
犯人に対して。
それが本気であったのならば、それは間違いなくテロリズムの発露で許し難い行為である。その時間にその象徴を、周りをまきぞえにしながら破壊することで、黙祷の意義・その黙祷がつながって想像力となるその連携を断ち、訴えとその伝播を封殺しようということなのだろう。
それが冗談半分であったとしても、許し難い行為であることに変わりはない。なぜなら、その時刻にその車両を、と明らかにわかった上でそれをピンポイントで指摘しているぶんより悪質で、そのことによりうろたえおびえる人々を見て嗤う行為そのものであるからである。
通報を受けた広島電鉄の決断はやむを得なかったものと思う。
広電電車に限らず、広島原爆慰霊の象徴が破壊される事件は、最近多い。
慰霊碑の破壊や、
http://s04.megalodon.jp/2008-0806-2306-30/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080730-00000123-mai-soci (魚拓)
折り鶴の破壊は、
http://s03.megalodon.jp/2008-0806-2232-07/www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200808070030.html (魚拓)
毎年毎年、この時期とは限らないが、おおかたねらったかのようにこの時期に起こることがおおい。
ことに祈り・願い・想像・連帯を込めた折り鶴は、毎年毎年不届き物によって燃やされている。ましてや、最近は、その行為を堂々と賞賛し「平和の儚さを実感しろ」と公言してはばからないものも残念ながらも存在している。
今の救いは、燃やされた折り鶴以上の折り鶴が今なお捧げられている、という点であろう。
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