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2024/11/23(Sat)00:49
だいありー
2024/11/23(Sat)00:49
2008/08/17(Sun)15:32
こちらの方も再録しておく。
これは、2004年7月23日に寄せた文章を2005年8月16日に再録した物の再録である。
当時のコメントをまじえて。
あの世界の「人々」には、現在の人間とは異なる特別な感情は無いことが
明らかになった。やはり色恋沙汰はあるのである。しかも非常に普通の。
そのせいで、ココネ(ロボット)の特異性が改めて浮き彫りになったような気がする。
それと、もう一つ。
最近の話はアルファ近辺に偏在していた。
それは、アルファ近辺で時間を「確実」に動かさなければならないからではなかろうか。
連続する二話が、異なる二つの世界で表現されているときに、時間の経過は感じがたい。
時間の流れを複数のエピソードで表現するには、複数話が連続して単位となっている必要があるのだ。
それはまた、物語の「ココネ」サイドでは、「時間の経過」という
物語における「大前提」を駆使した話が作りにくいのも関係している。
物語の前提は変化していないはずである。
いや、「物語における世界の開拓」も、物語の大前提の一つであったには違いない。
それは、アルファにとって「世界の開拓」が意味のある行為であったからでもあるし、物語の世界観の構築という点においても重要だったからである。
しかし、その前提は、現在の話のながれではほぼ消滅したといっても過言ではないだろう。その流れをうけてかは知らぬが、アヤセが最近、話の俎上にのばらない。
残念ながら「シバちゃん」の「色恋沙汰」という「展開」(新展開ではないという指摘はあるが)は、そういった前提を話の流れに組み込む発端ではあり得ないだろう。
一つは、話のメインにはなり得ないだろうという明白性。
もう一つは、物語の人物の世界が描くベン図における共通部分はこれ以上変化しないであろう、ということである。それは、そういった共通部分を介して、キャラクターの世界の連続性を表現する、という点に於いて、
物語の限界が見えているからである。
「ココネ」が「アルファ」のことを各方面に吹聴して回っているおかげで「丸子」と「アルファ」は共通部分がもてた。
現在の「アルファ」と「マッキ」のつながりも、もとは「タカヒロ」を介したものだった。
「アルファ」自ら、偶然ながらも「ナイ」と出会ったこともあるが、そこで、「丸子」と「ナイ」が旧知の関係性を持っていたことも大きい。
しかしながら。
そういった「新たな関係性」は今のところ「新たな関係性」の可能性を生み出していない。この点に於いて連続する世界を新たに表現するだけの素材はない。
主なキャラクター(シバちゃんと室長は除く。そもそもシバちゃんがメーンのキャラかどうかは疑わしいし、
室長は、そのキャラクターが担っている役割があまりに特殊すぎる。)は、その世界の中でもはやアルファの世界と共通部分をもってしまっているのだ。
それは、逆に言うと、もはやアルファ中心の視点で世界を描こうとした場合の「世界の開拓」がなくなることを意味する。そして、その前提で話を進めていくとするならば、あとは、すでに固まった関係性を「時間の表現」のなかで描くという、燃料を消費してゆくのに似た流れなのである。
また、アルファ以外のキャラが、そういった方法で新たな関係性を創出している例は、
ココネにおける例しかない。結局は、そのことは、平行しているアルファの世界とココネの世界に於いて、
後者がサブとしての存在に過ぎなかったことの証左だろう。(それは丸子の世界がアルファの世界と共通部分を持つようになったころから、うすうす感じられていたことであるが。)
ココネが主として属する世界に於いて、先に述べたように、時間の流れを表現することが困難であるということも関係しているだろう。
昨今におけるアルファ偏在の話の流れは、アルファ「との」「直接的な」共通部分で、各キャラクターが語れてしまう現在の状況を如実に表している状況に他ならない。
さて、「時間の表現」という「大前提」はマッキという素材があるかぎり、
劇的な前提の変化は起こらないであろうし、もちろんこの点からもアルファ偏在の話の組み立ては変化しないと予測する(私は結構不満だが…)。
一点救いがあるとするなら、極めつけの素材は6年後に再び表れるという「ターポン」である。その中の「人間」サイドの乗組員が数名無くなっていたならば、その時こそ、全体を通した「大前提」は「それ」で間違いないと実感する瞬間であろう。
ひとこと
弟(2005/08/17 13:10)
まずは作者は地理的なことを考えて話を作るべきではなかろうか?オチは地上が海の藻屑になるまでが吉かと。
木谷(2005/08/17 23:15)
カフェアルファが海の藻屑になるだろうことはすでに本編で「おじさん」が示唆している。しかし、そのときはおそらく「おじさん」自身がこの世にいないときであろうことをも暗に意味している。
「おじさん」の最期が描かれるかどうかはわからないが、「ターポン」が6年後現れると仮定すれば、この作品はあと6年間は続くと思われる。ひょっとしたらその間に「おじさん」と「小海石センセ」に何らかの動きがあるのかもしれない。
アフタ9月号の描写からは、「丸子」と「アルファ」は同一平面上、それがいいすぎなら少なくとも両者のひろがりとしての平面がもうすでにねじれの位置の関係にない、ということがいえるだろう。今後どういう方向で話が進んでいくのかが注目される。
弟(2005/08/18 08:22)
ターポンはいろいろな原因で落ちるかも知れない。
No.52|雑|Comment(0)|Trackback()
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