先週末、新市民球場に横浜戦を見に行く前に、市内をはしごした。
といっても、例によって例の如く、基町中央図書館→大手町ヲタクショップ街 と歩いていると
原爆ドーム前で気炎をあげている一つの集団があった。
よく聴いてみると、彼らは日本の再軍備核武装を声高に訴えてビラを配っていた。
原爆ドーム前で核武装論をぶちかましている若者集団(たぶんにおいらより若い連中)が シュプレヒコールをあげている真っ最中であったのだ。
だいたい今日日核武装なんて流行らない物をしかも原爆ドームの前で主張するなんてこいつら真性のどSかどMかとにかく両極端な連中だなーと苦笑いしていたら 何にやにやしとんや、文句があるなら論破してみいや と連中に囲まれ
て恫喝された。
ホントに疲れる連中だ。
私は軽く連中を無視し、信号を待って6系統の路面電車に乗り込んだ。(ちなみに800型だった)
第一、功利的な面からいえば、あれほど費用対効果の面からバカバカしいものはない。
日本は資源のない小さな国。それは、必然的に世界を平和に保っていかなければ生きていけないのは、誰が見ても明白。
そんな中で日本は核武装するメリットが有るかどうかは疑問である。
北東アジア諸国は当然のことながら、ASEAN諸国ももちろん反発するだろうし。
核廃絶を超長期目標として明言したオバマさんにも刃向かうことになるだろうし。
世界の大半を敵に回す可能性があるということ。
そうなったときに、核武装以上に国防費を積み増さないといけないことになろうかと。
少なくとも覚悟云々の問題ではなく、算盤勘定的に日本にとって非現実的な選択であろう。
田母神さんも広島でよりによって核武装推進の講演会なんて開かない方がよかったのにと思う今日この頃。
第一、『ヒロシマの平和』を疑う なんて、ヒロシマの人間が「平和ぼけ」の「思考停止」だから今まで日本が平和だったという訳ではないだろう。現実レベルからは、平和を維持するのも結構しんどいんだから。
まぁ、ヒロシマの希求するものは田母神さんの認識レベルとはおそらく異なっている。
それがわからないものは、原爆死没者慰霊碑の前の碑文を声を出してみるがよかろうとおもう。ちなみにそのときに
まともな人ならまともに素直に感じるその感情それこそがほかならぬ広島市の公式見解である。主語論争などもはや古い。
今年は、主に現実的な面からヒロシマ原爆の日を振り返ったが、やはり、最終的には、原爆死没者慰霊碑が投げかける原点、ここにたちかえるべきだと思う。
合掌。
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