今年の8月6日は仕事であるが、前日までには式典準備がおわったという新聞の記事を受けて前日の平和公園に行ってみることにした。
大手町のとらのあなの横のコインパークから徒歩で5分程度。川が俗世間と雰囲気を異にする。
平和祈念式典用にしつらえられた席は炎天に晒されているものもおおく、とにかく暑い。
いや、熱いという表現もくだんの日をしのべばここでは正しいか。
慰霊碑の前は折り鶴と線香が絶えない。
人の波も絶えることなく現れる。
あまりに身近すぎて意識はしないことが多いのだが
やはりこういうときに、ああやはり戦争遺跡なのだなと気づかされることである。
今でこそ駅の名前にもなっている原爆ドームであるが、その昔は産業奨励館といって
ドームの部分は淡い緑色がモダンな雰囲気を漂わせる洋館であったという。
全国各地で見られる洋館の一つになるはずだったこの建物は
いまでは、元安川側の本来の正面より相生通側からの画角が余りにも有名である。
若者達よ、いま眼前にそそり立つ遺跡から
今、諸君らの想像力が試される時であるぞ。
遺構が眼前に残されるのはそれが意義である。
先人らが多くの記録や記憶をなんとか残そうとしているのは、それを受ける我々の想像力に賭けているのだ。
歴史的には連合国二大国同士の内なる反目を決定づける萌芽となった歴史的象徴的出来事であり戦争犯罪であり
さらには戦争犯罪は戦争犯罪として許されてはならないのであるが、
それ以上に、その悲惨さ凄惨さは記録や記憶から残され続けなければならないものであり
戦争映画なんかもそうであるかもしれないが
その想像力の連鎖が濃く続くかぎり
現状はどうあれ、理想の状況、広島の訴えであれば核廃絶と平和 ここに立ち返ることが出来るのである。
今年の8月6日 午前8時15分は私は職場で仕事をしていた。
あなたはなにをしていましたか?
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